「なおる」って、何なんだ?
2008年4月13日朝は、土砂降りだったらしい。
あたしが起きた昼前には、すでに雨は止んで、晴れ間すら見えていたけれども。
今日は、うちはシーミーだった。
あれほど念を押しておいたのに、弟壱は来なかった
(多分、ハハオヤが「行かなくていい。チチとネェネェにさせればいい」と言ってるんだよな)。
おととしのシーミーは、弟弐とチチと、最後のシーミーになった。
去年は(弟弐が亡くなったから)控えていたけれども。
・・・そして今年。
チチと二人きりの、シーミーだった。
おととしまでは、弟弐がいたのに。
今はもう、目の前のお墓の中にいるのだ。
あぁ、お前は、「むこう」の世界に行ってしまったんだナァと。
線香に火を着けたり、重箱のご馳走を箸でひとつひとつ
ご先祖様にささげてるチチの背中を眺めながら、アタシは
キョロキョロしたり、鼻を啜ってたり、思い出しニコニコしてた
お前のしぐさ一つ一つを、思い出していた。
お前と毎年、こうしてシーミーに来てたのにねぇ。
シーミーは、一般的には「ピクニック」的な行事になっているから
こないだラジオで
「最近は、バーベキューをする人もいるそうです」
と聞いたとき、
「さすがに、お墓の前で肉を焼くのはどうかと思うがなー;」
と苦笑したけれども。
でも、親戚一同が集まる行事なわけで、やっぱあちこちのお墓では
チビたちがきゃあきゃあ、ギャーギャー(泣)と賑やかで、
彼らをとりまく大人たちも、なだめたりすかしたり、笑ったり怒ったりで。
ちょっと、羨ましかったりするんだ。
あたしらも昔は、ああやって家族全員で来たものだけどな・・・って。
いつからだろう、家族が欠けるようになったのは
(弟壱が、仕事に就いて自分であちこち遊びに行くようになってからだな・・・;)。
シーミーは、身内が亡くなって間もない時には、
寂しいもんだな、と思ったもんさ。
チチと、重箱をちょっとだけつまんで帰ったんだけど、
そのチチが言った。
「●日には、連れていかんといかん」
・・・?
弟壱が、今日(昼には)家に居なかった話を直前にしていたから、
弟壱の話題だとは思ったんだけど。
「なおるかもわからんというから」
・・・。
まさかと思った。
10年くらい前の話を、また蒸し返された、そう思った。
あの時もチチは
「弟壱に、キカイ(でナニか)を当てて、『なおす』という人がいる。
それで実際に『なおった』という人が、○○村にいるらしいんだ!」
と。
あたしはあの時、泣いて猛反発した。
あたしが生きている間は、そんなことは絶対にさせない!と。
それに、なんだその「なおる」って!?
知的障害児であること。
昔だと、「知恵遅れ」とも言ったな。
今だと「自閉症」だな、ともわかる。
それを、あたしは
「キカイで何か電波のようなものを本人に照射して」
「なおす」
っていうのが、胡散臭くて腹が立ったのだった。
「なおす」=「病気」か?
それって、弟壱の心には、ちっとも目を向けていないじゃないか。
あのときのアタシは、泣いて興奮しながらも
そういうことを一生懸命チチに訴えた覚えがある。
あいつのは、そんなんじゃない!
・・・今でも、そう思う。
でも。
「『見える』人がいるの?」
と聞くと、チチは頷いた。
・・・。
もう、あのときみたいに、チチを論破する気が、アタシにはなかった。
弟弐が死んで。
ハハオヤもああだし(いろーんな意味でね・・・)。
あたしも入院したわけだし、チチももう年だ。
チチなりに、この先のことを考えると、
『そういうもの』
にすがりたくもなったんだろう、そう思うと、何も言う気がしなかった。
『ああいうもの』を、信じないチチのはずなのに。
弟弐が死んでからは
「トウちゃんもこの先いつ死ぬかわからん」
そんなことも言うようになったチチ。
そんなの、あたしがあと1年、発見が遅れていたら、
先に死んでたのはあたしだったかもしれんのに。
いつもそう言い掛けるけど、チチの前で言えない。
もう、チチの気の済むようにした方がいいのかもしれない。
そう思ったあたしは今日、何もチチには答えずに。
黙って重箱に箸をのばした。
『そういうの』に連れていかれることで、もしかすると
弟壱は、いっそう、チチに対して心を閉ざすのかもしれないよ。
それをアタシは、チチに言えなかった。
「あいッ、雨降りそうだよ!」
北東の黒い雲を目で指したチチの声を合図に。
アタシとチチは、
弟弐の眠る墓を、あとにした。
あたしが起きた昼前には、すでに雨は止んで、晴れ間すら見えていたけれども。
今日は、うちはシーミーだった。
あれほど念を押しておいたのに、弟壱は来なかった
(多分、ハハオヤが「行かなくていい。チチとネェネェにさせればいい」と言ってるんだよな)。
おととしのシーミーは、弟弐とチチと、最後のシーミーになった。
去年は(弟弐が亡くなったから)控えていたけれども。
・・・そして今年。
チチと二人きりの、シーミーだった。
おととしまでは、弟弐がいたのに。
今はもう、目の前のお墓の中にいるのだ。
あぁ、お前は、「むこう」の世界に行ってしまったんだナァと。
線香に火を着けたり、重箱のご馳走を箸でひとつひとつ
ご先祖様にささげてるチチの背中を眺めながら、アタシは
キョロキョロしたり、鼻を啜ってたり、思い出しニコニコしてた
お前のしぐさ一つ一つを、思い出していた。
お前と毎年、こうしてシーミーに来てたのにねぇ。
シーミーは、一般的には「ピクニック」的な行事になっているから
こないだラジオで
「最近は、バーベキューをする人もいるそうです」
と聞いたとき、
「さすがに、お墓の前で肉を焼くのはどうかと思うがなー;」
と苦笑したけれども。
でも、親戚一同が集まる行事なわけで、やっぱあちこちのお墓では
チビたちがきゃあきゃあ、ギャーギャー(泣)と賑やかで、
彼らをとりまく大人たちも、なだめたりすかしたり、笑ったり怒ったりで。
ちょっと、羨ましかったりするんだ。
あたしらも昔は、ああやって家族全員で来たものだけどな・・・って。
いつからだろう、家族が欠けるようになったのは
(弟壱が、仕事に就いて自分であちこち遊びに行くようになってからだな・・・;)。
シーミーは、身内が亡くなって間もない時には、
寂しいもんだな、と思ったもんさ。
チチと、重箱をちょっとだけつまんで帰ったんだけど、
そのチチが言った。
「●日には、連れていかんといかん」
・・・?
弟壱が、今日(昼には)家に居なかった話を直前にしていたから、
弟壱の話題だとは思ったんだけど。
「なおるかもわからんというから」
・・・。
まさかと思った。
10年くらい前の話を、また蒸し返された、そう思った。
あの時もチチは
「弟壱に、キカイ(でナニか)を当てて、『なおす』という人がいる。
それで実際に『なおった』という人が、○○村にいるらしいんだ!」
と。
あたしはあの時、泣いて猛反発した。
あたしが生きている間は、そんなことは絶対にさせない!と。
それに、なんだその「なおる」って!?
知的障害児であること。
昔だと、「知恵遅れ」とも言ったな。
今だと「自閉症」だな、ともわかる。
それを、あたしは
「キカイで何か電波のようなものを本人に照射して」
「なおす」
っていうのが、胡散臭くて腹が立ったのだった。
「なおす」=「病気」か?
それって、弟壱の心には、ちっとも目を向けていないじゃないか。
あのときのアタシは、泣いて興奮しながらも
そういうことを一生懸命チチに訴えた覚えがある。
あいつのは、そんなんじゃない!
・・・今でも、そう思う。
でも。
「『見える』人がいるの?」
と聞くと、チチは頷いた。
・・・。
もう、あのときみたいに、チチを論破する気が、アタシにはなかった。
弟弐が死んで。
ハハオヤもああだし(いろーんな意味でね・・・)。
あたしも入院したわけだし、チチももう年だ。
チチなりに、この先のことを考えると、
『そういうもの』
にすがりたくもなったんだろう、そう思うと、何も言う気がしなかった。
『ああいうもの』を、信じないチチのはずなのに。
弟弐が死んでからは
「トウちゃんもこの先いつ死ぬかわからん」
そんなことも言うようになったチチ。
そんなの、あたしがあと1年、発見が遅れていたら、
先に死んでたのはあたしだったかもしれんのに。
いつもそう言い掛けるけど、チチの前で言えない。
もう、チチの気の済むようにした方がいいのかもしれない。
そう思ったあたしは今日、何もチチには答えずに。
黙って重箱に箸をのばした。
『そういうの』に連れていかれることで、もしかすると
弟壱は、いっそう、チチに対して心を閉ざすのかもしれないよ。
それをアタシは、チチに言えなかった。
「あいッ、雨降りそうだよ!」
北東の黒い雲を目で指したチチの声を合図に。
アタシとチチは、
弟弐の眠る墓を、あとにした。
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